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3.11が来ると思い出すこと〜無駄にしてはいけない〜

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©龍爆連合

9年目の3月11日がやってきた。

あれから9年。もう9年だ。しかし、私は昨年のことのようにも感じる。

あの日から私は生き方・防災意識が変化した

■目次

 

3.11とは・・・・

3.11とは2011年に東北地方を大きな揺れ、高い津波で襲った「東日本大震災」が発生した日である。

2011.3.11の追悼の意を込めて、あれから毎年3.11になると「追悼式典」が開催されてきた。

しかし、今年は新型コロナウィルスの影響で式典は中止になるようだ。

 

当時、私は何をしていたか・・・・

当時、私は小学4年生だった。

 

小学4年生だった当時の私は、小学6年生を送る卒業式の歌練習を体育館で行っていた。

音楽の先生が、汗を撒き散らしながら、タクトを振っていた。

体で大きなリズムを取りながら、体育館中を歩き回っていた。

ムンクの叫びの絵画のような大きな口と大きな声で指導していた。

 

その時、体育館が揺れた。

最初は、音楽の先生の歩き方により体育館が揺れているのだと思った。

しかし、突然校内放送が入り、地震であったことに気がついた。

私たちと“汗まみれ”の音楽の先生は呆然とした。

地震が来たのか…。」小学生だった私はそんな気持ちであった。

その後、いつものように「帰りの会」を済ませて、帰宅すると、母親はテレビ画面を見ながら私に言った。

「おかえり、この辺は無事だったけど、東北の方はひどいよ。大きな地震だったらしよ。」

小学生ながらもテレビ画面と母親の顔でどれくらい酷い災害だったのか分かった。

 

私が住む地域では、甚大は被害とならなかったが、東北は壊滅状態であった。

そんな中、私の小学校では、東北地方のある小学校に「お米」を寄付したり「折鶴」を和紙で折って送ったりした。

また、「テレビ会議」と称した、映像での交流も行った。

映像では笑っていた東北地方の小学生は、きっと目の奥では辛かっただろう…。

 

何度もテレビで流れる津波・揺れの映像。

私はその映像を観るたびに心が痛くなる。

 

私たちがすべきこと・・・・

9年前の震災は、未曾有の地震であった。

マグニチュード9と聞いたことのない規模であった。

 

起きてしまったことは取り返せない。時間は巻き戻せない。

被害者をたくさん出してしまった災害であった。

 

では、今後私たちはどうすればよいのだろうか…。

私の知り合いで東北に住む人は、「知識をつけてほしい」と言った。

 

今後、これ以上の規模の災害が起きても、被害者を極力減らせるように、災害に対する知識をつけてることだ。

知識をつけるだけではいけない。

巨大な規模の災害に耐えられるような国家づくりも必要である。

 

私たち個人の考え方次第では国も変わるだろう。

 

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執筆:龍爆連合 

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